成果なく、リオ+20閉幕

地球パンクまで残された時間は
少ない
急がれる経済性豊かさを至上とする
価値観の転換


10年ぶりとなる世界最大の環境会議・リオ+20が6月20~23日までブラジルのリオデジャネイロで開かれ、120カ国の首脳をはじめ、4万5000人の関係者らが参加し、今後10年の環境保護や途上国開発のあり方などについて話し合った。

今回の会議で焦点となったのは、経済の発展と環境保全を調和させた「グリーン経済」を、世界共通の目的に位置づけられるかどうかだった。政治宣言の原案には国内総生産(GDP)の限界を認識し、それに代わる豊かさの指標として幸福度指標など新しい指標の開発に合意するなどの内容が盛り込まれていたが、経済発展を目指す途上国側との隔たりは大きく、ほとんど削除された。

20年前、開かれた地球サミットで地球温暖化など、地球規模の環境問題が取り上げられたことは世界中で関心を呼んだ。国際社会が「持続可能な社会」を目指し、環境問題に取り組む大きなきっかけとなったが、今回は具体的な目標、政策がほとんど決まらない成果に乏しい内容で、盛り上がりを欠いたまま閉幕した。

地球の限界が近づいており猶予はない。具体的な成果が得られず終わったことは、地球環境への負荷をさらに加速させるだけに、極めて憂慮すべき問題だ。

1990年から2010年までの20年間に、南米の森林は、日本の国土面積の2倍以上にあたる82.1万平方キロメートル、アフリカでは約倍近くにあたる74.8万平方キロメートルが消失した。一方、1990年に先進国11億人、途上国約42億人の合計53億人だった世界の人口は2010年、先進国12億人、途上国約57億人の合計69億人に、2050年には合計約93億人に増えると予想されている。

今も世界で貧困に苦しむ人々は少なくないが、食糧問題はさらに深刻になるだろう。食糧自給率が低い日本にとってもけっして無関係なことではない。また、世界では十億人の人が電気のない生活を送っており、先進国の人たちが当たり前にように使っている冷蔵庫、テレビ、車などは世界を見ればぜいたく品なのである。

美食がもてはやされる一方で、食べられる食品が大量に廃棄される現実。便利になること、経済的に豊かになることは、環境に負荷をかけることであり、それは、同時に大切なものを失うことでもある。森を開き、街を作って人が住み、暮らしが便利になる。その一方で、森に住んでいた鳥や昆虫などの生物は姿を消していく。人が「便利さ」を追求していくうちに、空気や水など人が暮らしていく上で不可欠なものが失われてきた。

何かを得よう、得たいと追い続ける現代人にとって価値があるのは、金やモノを得るため、「いかにうまく足し算」をうまくやっていくことである。

そして、それで人々は豊かになったのかと言えば、精神的な豊かさという本当に大切なものは失われるばかりで、思いやりなどが感じられない殺伐とした社会になっている。お金が欲しい…。モノが欲しい…。人のこうした欲求には際限がない。

便利な暮らし=幸せでないことを示すものとして、ブータンなどの「幸福度」という指標が注目されているが、今、現代人に求められるのは、経済的豊かさを至上に置く価値観の転換に他ならない。「名誉」「便利」「快適」という際限のない欲求を達成するため、ひたすら競争し、行動し、努力するという「足し算」の発想から、それをできる限り排除していく「引き算」の発想である。

これまで途上国に負担を押し付けてきた先進国の人々が自ら変わることが先決だ。そうでなければ、途上国の理解は得られないし、早晩地球はパンクしてしまうだろう。

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