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原発問題

福島原発事故で自ら被災者となった女性映画監督が自らの妊娠、出産を描いたドキュメンタリー今春上映

福島原発事故から間もなく5年。事故直後、取材をしていた映画監督の海南友子(かなともこ)さんが、現場の福島で自らの妊娠に気づいてから、出産までを描いたセルフドキュメンタリー「抱く{HUG}」(ハグ)の試写会が都内で行われた。

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福島原発事故取材中に知った自らの妊娠。今春、公開される「抱く(HUG)」は、原発事故の取材、京都への避難、出産まで、自らの体験を撮ったセルフドキュメンタリーだ。

不妊治療を続け、諦めかけていた中で突然、知った自らの妊娠。うれしい気持ちの一方で、高い放射線の中で取材を続けたことへの後悔、そして、福島で出会った母たちの苦しみが自分のことになった瞬間だった。原発事故により突然、ごく当たり前だった日々の暮らしがすべてが変わってしまった。

取材を続けるべきか、迷い、苦しんだ末、「なにもかも変わってしまった世界」で、母となる意味を記録するため、カメラを回し続けることを決意する。自らも被災者となった体験に、被災地から避難した母親たちへのインタビュー、津波の被害を受けた街などの取材を加え、完成した作品が今春、全国で公開される。

(さらに…)

電気の自由化は名ばかり?原発費用は電気料金に上乗せで国民負担?<地球環境問題 原発の行方>

“原発特別扱い”

2016年から家庭向け電力が自由化され、消費者は自由に売り手を選べるようになり、電気料金の値下がりが期待されている。ところが、密かに再稼働、新設などを含め原発にかかる費用を電気料金に上乗せしようという計画が進められているという。

原発費用は国民負担

政府と電力会社が独占的に決めてきた電気料金は、2016年以降、自由化されることが決まっているが、密かに“原発の特別扱い”が進んでいるという。東京新聞は9月3日の社説で経済産業省の有識者の間で密かに交わされている話として紹介した。

自由化で電気の値下げが期待されているが、期待はずれに終わるかもしれない。

自由化で電気の値下げが期待されているが、期待はずれに終わるかもしれない。

その話とは電気の市場価格が基準価格を下回った場合、「原発の新規建設、廃炉、維持にかかわる費用を、全消費者の電気料金に差額分を上乗せする」というもの。従来通り、電気料金は政府と電力会社で決め、原発を動かす大手電力会社に損がないようにするという。つまり原発ありき、電気の自由化とは名ばかりということなのだ。

これまで「安い電源」とされてきた原発だが、ひとたび事故が起これば、巨額の賠償費用が必要になる。自由競争に耐えられないほどコストは高く、「独占事業の中でなければ原発事業が成り立たないことを、国も認めているということ」と記事は指摘する。

避難計画があっても避難できない

原子力規制委員会の安全審査を通った原発は「再稼働」を進めていくという方針のもと、その先陣を切って10日、九州電力川内(せんだい)原発が新規制基準に適合しているとの判断が出て、年末に再稼働する予定で進んでいる。その一方で原発事故に備え、国は自治体に避難計画を作るよう指示しているが、川内原発の周辺自治体では未完成という。安全審査には「避難計画」は含まれていないそうだが、国民の命はおかまいなし、というようにも見える。

パニックも想定される緊急時に計画通りにいくのか?

地方は幹線道路が限られている。パニックも想定される緊急時に計画通りにいくのか?

その一方、NHKが原発30キロ圏内の全国の自治体にアンケートをとったところ、半数以上の自治体が「避難計画の作成を終えた」と回答したというが、未完成という自治体も少なくない。

今年4月に青森県の原発の建設計画凍結を求めて提訴した対岸の北海道・函館市の市長がテレビのインタビューで「事故が起きれば、避難は難しい」と語っていた。また、全国自治体の首長で構成する「脱原発を目指す首長会議」でも避難計画の実効性を疑問視する声が上がっていた。

福島原発事故が起きたときも、道路が渋滞し、長い車の列ができた。限られた道路しかない地方では、何万人もの人の一斉避難は困難を極めるだろう。半数以上の自治体が作り終えたという避難計画の実効性はいかなるものなのだろうか。

必ず起きる自然災害

政府は原発を重要なベース電源として位置付け、原発再稼働、さらに新設も進めようとしている。その理由に挙げるのが、安定かつ安い電源とされること、そして、「CO2を出さず、化石燃料の依存も減らせる」という地球環境問題、温暖化の対策という点だ。

原発が安い電源ではないことは共通認識になりつつあるが、日本はプレートが複数入り込む世界的にも珍しい地形で、無数の活断層もある。東京では30年以内に70%以上の確立で大地震が起きると言われ、西日本では南海トラフ地震も心配されている。世界でも地震大国である日本。そんな危険性の高いところで、原発事故が起きれば取り返しがつかない事態になる可能性が高い。

そして、使用済み核燃料の処分方法も依然、見通しはつかない。今も福島原発周辺は放射能に汚染され立ち入ることができないことを考えれば、地球環境問題、温暖化対策という説明も苦しく、国民の理解も得にくいのではないか。

東京電力・福島第一原発の故吉田昌郎所長は事故4日目に「東日本壊滅を覚悟した瞬間があった」と語っていたという。何がなんでも原発再稼働するという姿勢は、福島の事故のことはすっかり忘れてしまっているかのようだ。

福島原発事故でスピーディーの情報がありながら、国民には知らされず、拡散する方向に多くの人が避難した。原発事故が起きたとき、福島以上の被害が出る可能性は十分ある。誰も責任をとらない無責任体制であるならば本当に怖いことだ。

 

地球環境問題、社会問題を歌う異色のアイドルグループ・制服向上委員会。結成22年目。ライブ、ボランティアを中心に活動

脱原発・いじめなどテーマは様々。新曲は「金目でしょっ!」

脱原発、地球環境問題をはじめ、憲法9条、いじめ、歩行喫煙など社会問題をテーマにした曲を多く歌い、全国各地でボランティアやライブ活動をしている異色のアイドルグループ・制服向上委員会(アイドルジャパンレコード)。福島原発事故後の2011年9月には、CDシングル「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を発表し話題を集めた。

アイドルだから、言いにくいことも言える

現在、9代目のメンバーは10人で活動中。今秋、新しいメンバーも加わる予定。

現在、9代目のメンバーは10人で活動中。今秋、新しいメンバーも加わる予定。

制服向上委員会は1992年結成で、22年目という長寿アイドルグループ。現在の10名のメンバーは9代目。結成当時はCDが売れなくなり始めたころで、冬の時代でもあった。「10人の人から年間1万円をいただけるアイドルにしようという思いで始めました」とアイドルジャパンレコード代表の高橋廣行さんは言う。

ある脱原発イベントに参加した際には、数十人の機動隊に取り囲まれたこともあったという。悪いことをしたのかだろうと不安になる時もあるし、怖い思いもする。そして、大手スポンサーの支持を受けづらく商業的にマイナス面が多いにもかかわらず、難しいテーマの曲を歌い続けるのはなぜか。

「日本では珍しいと言われますが、イギリスなど海外ではアーティストがこうした曲を歌うのは一般的です。間違っていることに対しては、きちんと『おかしい』と言っていかなければならないけれど、言いにくいこともある。その点、アイドルは歌や踊りが下手でも、転んでも、間違っても許されますし、お客さんも寛容なんです。ファンの中には『原発賛成』という人もいるんですよ」と高橋さんは笑う。

「国内には現在、1000ほどのアイドルグループがあるとも言われますが、イベントによっては訪れるお客さんよりもアイドルの人数が多いこともある。2曲歌って握手して終わりで、誰も歌なんて聞いていないんです。また、ボランティアという場合でも普通は一度きりということが多いですね。でも、制服向上委員会の場合は同じ老人ホームや障害者施設に何度でも行きます。『また、来てくれたんだね』と喜ばれ、メンバーもやりがいを感じています」。

根強いファンは40代、50代の中高年男性

制服向上委員会のライブ。訪れた中高年のファンたちは大きな声援を送っていた。

制服向上委員会のライブ。訪れた中高年男性のファンたちは大きな声援を送っていた。

ライブがあるとのこと、訪れてみた。ふだん多くの人でにぎわう東京・上野だが、お盆休み最終の日曜ということもあって、制服向上委員会のライブが行われたこの日は街を行き交う人影もまばら。狭い路地を入った地下の小さなライブハウスは40代、50代以上と思われる中高年の男性たちでいっぱいだった。

ライブが始まると、ファンが曲の途中で入れる合いの手、野太い男性グループの掛け声が会場にとどろき盛り上がる。1970年代から1980年代にかけてアイドルブームが起きたが、その応援方法や掛け声は、当時を彷彿とさせる。

制服向上委員会が歌う曲は、地球環境問題やいじめなど社会問題を取り上げたものの他、恋愛をテーマにしたものも多い。一方で爽やかな歌やダンスのステージと、声援を送る中高年男性たちの間にある“不思議な間”。

聞くとかつてのアイドル全盛の時代から『アイドル好き』を自任する人、メンバーたちを自分の娘のようにように思っている人、有名なグループは手が届かない存在だけど身近に感じられるから…など、ライブに来る目的はそれぞれのようだ。人気グループでは、自分が好きなアイドルを応援するため、一人で何枚もCDを購入しその支出は一人数万円に及ぶ人も。それだけに、アイドル市場は経済力を持った中高年が市場を支えているとも言われる。

これからも地球環境問題、社会問題を訴え続けていく

「歌える場所があればどこへでも」がモットー。イベントやボランティアに積極的に参加している。

「歌える場所があればどこへでも」がモットー。イベントやボランティアに積極的に参加している。

この日のライブでは、新曲「金目でしょっ!」など3時間にわたって熱唱。「金目でしょっ!」は石原伸晃環境相の福島での発言をヒントに曲にしたもので、「日本全国、金目でしょ~♪」とユーモラスに今の日本、政治を皮肉る。近くYouTubeにアップする予定という。10月1日に発売される41枚目、結成22年記念アルバムとなる「ルールとマナーを守ろうよ!」にも収録される。

ライブの途中や終了時に設けられる写真タイムでは、お気に入りのアイドルと記念撮影ができる。写真に収まった男性たちが満面の笑みで、幸せそうな表情を浮かべていたのが印象的だった。

ライブが終わって、会場を出ればすぐに再び現実の世界に戻され、明日からは普段通りの毎日が始まる。街の喧騒の中で道すがら男性たちは、次にライブに参加する日が来るを楽しみに、明日からもまたがんばろうと思うのかもしれない。地球環境問題とアイドル、そしてファン。接点はないようであるのだった。(ライター 橋本滋)

 

 

青森・大間原発の炉心から300メートルの民家・あさこはうす 母の代から反原発貫いて30年<自然の大切さを次世代に伝える>

反原発、地球環境問題を訴え続ける

津軽海峡に面する青森県・下北半島の北端で、建設中の大間原子力発電所(大間原発)の炉心からわずか300メートルにある唯一の民家があさこはうす(青森県下北郡大間町)。過去には地権者があさこはうすを含めた建設予定地の買収を拒んだことで、大間原発は建設地を移動せざる得なくなったこともある。母の代から30年、用地買収に応じなかったのは、「自然を壊したくない、失いたくない」という反原発、地球環境問題への想いだ。

推進側からは「2年待てば、大間は動く」との声も

建設中の大間原発から30キロ圏内に含まれる北海道・函館市は今年4月、建設凍結を求めて提訴した。

建設中の大間原発から30キロ圏内に含まれる北海道・函館市は今年4月、建設凍結を求めて提訴した。(函館市ホームページより)

大間のマグロで知られる青森県の大間町は、人口6000人で漁業が主産業の小さな街だ。その一方で、国からの交付金で公共施設、病院などが建設され、流れ込んだ原発マネーは400億円以上とも言われ、住民の一割が原発関連の仕事に従事する原発城下町でもある。

原発の使用済み核燃料を再処理することでできるのが「プルトニウム」。本は4000発の核爆弾を製造できるだけのプルトニウムを備蓄するプルトニウム超大国とも言われる。大間原発は2008年5月、そのプルトニウムを再び原子炉で利用するプルサーマル計画の一部として着工。プルトニウムとウランを混ぜた燃料(MOX燃料)を100%使う「フルMOX原発」である。MOX燃料は放射線量が高く毒性が強い上、敷地内、及び周辺には活断層の存在が指摘される大間原発は、“国内有数の危険度が高い原発”で、事故が起きたときの被害の大きさは福島原発事故の比ではないとも言われる。

福島第一原発の事故などを契機にいったん、中断されていたが前政権下で工事が再開。この決定に対し30キロ圏内に一部が含まれる対岸の北海道・函館市は猛反発し、今年4月、Jパワー(電源開発・東京都中央区)と国を相手取り、建設差し止めと、原子炉設置許可の無効確認を求める訴えを起こした。

1984年の大間原発建設決議以来、原発容認という空気が街全体を包む中、小笠原厚子さんの母・熊谷あさ子さんは、提示された巨額の用地買収にも首を縦に振ることなく2006年、68歳で逝去。大間原発阻止の遺志は、娘の小笠原厚子さんにより引き継がれている。

原発と地球環境問題の解決は相反

熊谷あさ子さんと小笠原さんが建設したログハウスの「あさこはうす」は、大間原発の炉心からわずか300メートルの位置にある唯一の民家だ。国道からあさこはうすまでの道路はJパワーから提供されており、フェンス、鉄条網で仕切られた道を15分ほど歩くと到着する。家主である小笠原さんの自宅は、北海道の北斗市にあるが、使用されていないと道路が閉鎖される可能性もあるため、定期的に訪れる必要があるという。

現在の状況について、「フェンスの内側に残土が積み上げられ、内部(原発施設)が見えにくくなってきている。また、原子炉メーカーが地元の人たちに『あと2年待てば原発は動くから待っていろ』と言っている声も伝わってくる。その一方で同窓会に登壇した同級生が皆の前で『(私のことを)応援している』と言ってくれた。公の場でこうした意見が出るのはこれまでにないことで、とても勇気づけられた」と小笠原さんは話す。

あさこはうすの電気は現在、太陽光設備と風力発電設備でまかなっている。「住めるようにするのが目標」で、アイガモ、鶏、犬などの動物が増えている他、以前から工事を進めていた台所も完成しつつある。小笠原さんはログハウスを続ける理由について、「自然、環境を守りながら子どもたちが安心して遊べる場所にしたい。そして、全国で脱原発に取り組む人たちともつながって想いをひとつにしていきたい。守りたい、失いたくないという気持ちで、これからもがんばっていく」と語る。

一方、水の確保、資金面など悩みは少なくない。水については、井戸を掘ろうと地元のボーリング会社に相談したが、一年以上もなしのつぶてという。街全体が原発容認の空気で包まれる中、何かひとつ事を前に進めるのも容易ではないようだ。また、生活用水については雨水を溜めたりしてしのぎ、飲料水は宅配便や郵便で送っている。「ここで生活をするとどれだけ水が必要なのか、ふだんどれだけ多くの物を捨てているかよく分かる」と言う。トイレも老朽化が進み、建て替えが必要になるなど資金面も悩みだ。

本人が知らない応援プロジェクトに困惑も

応援メッセージを送れ、寄付もできる「あさこはうすゆうびん」。

応援メッセージを送れ、寄付もできる「あさこはうすゆうびん」。

全国から寄せられる寄付は活動の大きな支えだ。「ただ寄付してもらうだけでは心苦しい」という気持ちと、あさこはうすに通じる道に人が通らないと封鎖される心配があるため、代わりに郵便局に行ってもらおうと始まった活動が「あさこはうすゆうびん」。葉書5枚が1000円で、「あさこはうすを応援しよう」というメッセージと寄付を送る目的を兼ねている。

小笠原さんは活動をより多くの人に知ってもらおうとの目的で各地で講演を行っているが、訪れる旅費も基本的に自費だ。講演に訪れた会場で手づくりのイカめしをはじめ、漁でとれた海産品を持参し、訪れた人に販売し資金にあてている。そこまでするのは、反原発と自然を守るという地球環境問題を多くの人に知ってもらいたいからだ。

一方で「あさこはうすの活動を応援しよう」と支援を名目にした寄付、便乗的な活動も悩みの種。実態が不透明だったり、許可を得ていなかったりするケースで、寄付や、応援プロジェクトなど本人の知らないところで立ち上がっているものも少なくないという。

そのひとつがネット上で展開される応援プロジェクト。いつの間にかあさこはうすゆうびんでなく、「普通の葉書を送ろう」にすり替わったホームページが立ち上がっていたという。「当方がその活動を把握しておらず驚きました」。また、「ある団体の募金活動を通じて(寄付金を)送りましたという連絡がきても、実際には届いていないことがありました。寄付してくれた方の気持ちが届いていないのなら申し訳ないです」とも。

あさこはうすの活動は、現在、小笠原さんとその娘さんが行っており、寄付の窓口も本人名義の口座のみで、それ以外の寄付、応援プロジェクトなどの名称がつくものには携わっていないという。これらの事例について残念としながらも「反原発や地球環境問題に対する想いは同じだと思う」と語り、複雑な心境をのぞかせた。

逆風の中で母の代から30年にわたり、原発阻止に孤独な戦いを続けてきた小笠原さんの活動は、各地で注目を集めている。小笠原さんは8月、神奈川県の川崎市で「お話し会」を開き、反原発や地球環境問題への想い、現状や課題などについて語った。この日、お話し会に訪れた人たちからも「井戸掘りに協力したい」といった申し出や、「事務局を作ってはどうか」といった意見が相次いだ。

「あさこはうす」は反原発、地球環境問題の象徴的な存在として賛同の声は広がっているが、個人活動の限界や課題も少なくなく、支援の広がりが期待される。しかし、応援するつもりであっても、方法によっては逆に迷惑になる可能性もある。支援の在り方については知恵が求められそうだ。(ライター 橋本滋)

 

「被ばく牛は原発事故の生きた証」「誰かを捨てて、蹴飛ばして、今の平和や繁栄がある。それでいいのか、問い続けたい」 福島県浪江町・希望の牧場 吉沢さん

2011年3月に起きた福島第一原発事故で、福島県浪江町をはじめとする警戒区域内の農家が牧場の放棄と家畜の殺処分を余儀なくされた。そんな中で330頭の牛を救ったのが「希望の牧場(福島県双葉郡)」の吉沢正巳さん(60歳)だ。国の全頭殺処分指示に従わず、そして、苦渋の中で自分の家畜を置き去りにせざる得なかった地元の同業者からも反発を買った。何が牛を救出する行動へと駆り立てたのか。

希望の牧場内の放射線量は、3.4~8.1マイクロシーベルト/h(2013年9月時点)とかなり高い。

希望の牧場内の放射線量は、3.4~8.1マイクロシーベルト/h(2013年9月時点)とかなり高い。

 

警戒区域内の家畜のほとんどが餓死

福島原発事故前、警戒区域内では牛約3500頭、豚約3万頭、鶏約44万羽が飼育されていた。事故後、そのほとんどが畜舎で放置され、餓死した。同年3月11日、13日に起きた原発建屋の爆発、国から警戒区域設定、全頭殺処分の通告が出されるなど数々の障壁が立ちはだかる状況をかい潜り、吉沢さんは牛に水とエサを与え続けた。

希望の牧場は福島第一原発から約14キロの距離にあるが、除染が行われているのは道路から数メートルの範囲内だけで、ほとんどの場所が今も放射線量は高いままだ。事故から3年経った今、たくさんの牛が死んだが、仔牛も生まれ、今も事故前と変わらないほぼ同数の牛が、のんびり暮らしている。「牛の経済的な価値はゼロだということは分かっていたが、見殺しにはできなかった。被爆したという意味では貴重な存在。研究目的で生かす意義はあると思うので、今後も牛たちを生かす道を求めていきたい」と吉沢さんはいう。

スタンチョンという器具をつながれた牛はエサを与えられることなく餓死。崩れ落ちるように死んでいった。

スタンチョンという器具につながれた牛はエサを与えられることなく餓死。崩れ落ちるように死んでいった。

原子炉建屋爆発。これで終わりだと

2011年3月11日、東北大震災が起きたとき、吉沢さんは南相馬市のホームセンターで買い物をしていた。強い揺れにただならぬ事態が起きたということはすぐに分かったが、牧場が心配で戻ることにした。そこで見たのは、無残に潰れた牛舎、倉庫だった。電気が止まっていたのでディーゼル発電機を回し、牛たちに水を与えた。

3月12日、通信設備を設営するため、警察の通信部隊が10人ほどやってきた。そして、15時36分に原発建屋で水素爆発が起きる。警察官らは「本部から撤収命令が出たので、私たちは引き上げる。あなたもすぐに安全な場所に移動してください」と言い残して立ち去ったという。そして、14日にも2回の爆発音を聞く。吉沢さんは自衛隊のヘリコプターが、原子炉建屋に散水する様子を牧場から見ていた。「自衛隊は人々を守るため、きっと彼らはここで盾となって死ぬに違いない。その姿を見て自分もここから逃げるわけにはいかない」と気持ちが固まったという。この時、自衛隊が掲げていた「決死救命、団結」は、そのまま希望の牧場のスローガンになる。

エサを持ってくると牛たちは我先にと集まってくる。

エサを持ってくると牛たちは我先にと集まってくる。

牛を助けなければ。無我夢中で牧場へ戻る

その頃、浪江町では国、県から情報がない中で、独自に避難を判断。原発から北西に25キロのところに位置する津島に、約8000人の避難民が押し寄せ、ごったがえしていた。この後、避難民が逃げた方向に大量の放射能汚染が拡大していたことが明らかになる。スピーディ―の情報が国によって隠され、住民に知らされなかったのは後の報道の通りだ。

その後、吉沢さん自身もいったん二本松市へ避難したものの、再度、牧場に戻ることを決意。立ち入り制限区域で線量計を持った警察官から「通常の1000倍の放射線量となっているから入ってはいけない」との制止された時も、「牛に水を与えなければ、死んでしまう。自己責任で行く」と振り切った。

なぜ、高いリスクを承知で牧場に戻ろうと思ったのか。「ここで暮らしている牛は、経済的には価値がありません。牛の肥育を仕事にする私にとって意味があることなのかと考えました。それでも、割り切って、見捨てることはできなかった」。そして、「福島は国から見捨てられたのです。国はいざとなれば国民を捨てるのです」と言葉を続けた。

「被災地のことが風化しないよう、これからも訴え続けていく」と語る吉沢さん。

「被災地のことが風化しないよう、これからも訴え続けていく」と語る吉沢さん。

戦争中の棄民政策。福島に重なる

吉沢さんの国に対する不信感は、満州開拓団として中国に渡った父・正三さんの体験からくる。終戦間近、ソ連が日ソ中立条約を破って参戦するという情報を掴むと関東軍は退却。多くの日本人が「棄民」として置き去りにされ、60万人もの人がシベリアで抑留生活を送ることになった。その後、正三さんは無事に帰国を果たすも、国からの賠償はなく、住む家も食べるものもない困窮生活を強いられた。苦労の末、千葉で牧場を営む事業を始めた後、福島県浪江町に移り住んだ。その後を継いだ吉沢さんが2代目になる。かつて父が国から「棄民」として受けた扱いが、牛の置かれた状況、福島の人たちに重なるのだという。

「事故から3年が経過した今、被災地の人は今も故郷に戻れず、仮設住宅で生活しているのに、東京ではオリンピックが開催されると盛り上がっている。都知事は東京を世界一の街にすると言っているが、私には遠いところで起こっていることにしか思えない。オリンピックにネガティブな発言をしている人は非国民と言われそうな、そんなムードすらある」。

講演会は全国、呼ばれればどこにでも赴く。100回を超えた。

講演会は全国、呼ばれればどこにでも赴く。100回を超えた。

これからも脱原発、福島の窮状を訴えていく

「福島がこんな状況にもかかわらず、国は原発を再稼働しようとしている。ドイツは脱原発を決めたが、なぜ、日本で同じことができないのか。このまま2、3回、福島と同じことが起きなければ分からないのか。脱原発、福島の窮状を、都心や再稼働予定地の周辺などで訴えていきたい」。今後、全国を自分の軽トラックで街宣する予定だ。高い放射線量の中で3年にわたり、牧場で牛の世話を続ける。健康に影響はないのか。「事故後、20回ほど検査を受けたが、異常はなく心配ない」と意に介さない。東京・渋谷のスクランブル交差点をはじめ、各地の街頭に立って演説を行う。講演会は100回を超えた。

「福島で作られた電気は東京で消費される。それなのに私たちの故郷は東京を支えながら、無くなろうとしている。誰かの犠牲のもとで、一部の人が豊かさを享受する、それがまかり通る世の中はおかしい。米も野菜も作ることができず、多くの人が故郷に帰ることすらできない。仮設住宅に住む人の間でいさかいも起きる。争うべきは隣人ではなく、こんな状況を作った国であり、東京電力だ。特に東京に住む人が享受している今の豊かさを感じるもとになる電気は、福島で作られているということを、これからも訴え続けていきたい」と語る。これからも全国の街頭で、その想いを訴えていく決意だ。

東京・渋谷のスクランブル交差点で演説する吉沢さん。(撮影:木野村匡謙)

東京・渋谷のスクランブル交差点で演説する吉沢さん。(撮影:木野村匡謙)

■参考文献 原発一揆(針谷勉著 サイゾー)

脱原発は世界の流れ。再生可能エネルギー普及に政治がリーダーシップを発揮すべきとき

国内は原発再稼働か、脱原発かの議論で揺れている。福島の原発事故以降、国内で急速に高まった原発の議論だが、2011年当時、原発新設の計画を進めていたのは世界では中国、インド、イラン、そして日本など少数だった。今も原発を新設しようとしている国は新興国や発展途上国が中心だ。

アメリカですら1979年、レベル5のスリーマイル島原子力発電所事故以来、地域住民から反対の声が強く、原発新設には慎重だった。そして、1986年、旧ソ連でチェルノブイリ事故が起き、周辺諸国の原発に対する意識が大きく変わった。その中で、原発新設を進めようとしていた日本は例外的な存在であった。

ドイツは2002年、事故が起きたときのリスクが高いことに加え、放射性廃棄物を次世代に残すことへの解決策が見いだせない等の理由により、脱原発を決定。国内に17基あった原発を2022年までに全廃し、替わりに再生可能エネルギーの割合を35%まで高める計画だ。発送電分離が行われ、風力発電、バイオマス発電など電気を作る会社がいくつも生まれた。そして、人々は自分が使う電気を自分の意思で自由に買えるようになった。

一方、日本の電力会社には競争がなく、全国、広域のエリアに分け、各地域では事実上1社が独占してきた。当たり前のようにこの状況が続いていたが、福島の事故を契機に東京電力は国有化され、2015年からは国内でも発送電分離の改革が始まる見通しだ。

しかし、こうした中で朝日新聞は2月27日、原発再稼働に意欲を示す現職の経済再生担当相のパーティー券を、電力9社が覆面購入していることを報じた。法律に定められた範囲内と言え、現役閣僚、しかも電力行政に大きな影響力を持つ大臣に対し、電力会社、関係する個人が政治資金の源泉ともなるパーティー券を応分負担して購入することは、抜け道を利用し便宜を図っていると言われても仕方がない。

「特定団体に利益を誘導すること」。それが政治、官僚を動かすモチベーションとなっているのならば、真の意味で求められる発送電分離、再送可能エネルギーへのシフトは進まない。

世界では多くの国が再生可能エネルギーに力を入れ、新技術や廃炉ビジネスなど新しい産業が生まれ、雇用を生み出している。再生可能エネルギーを取り巻くビジネスは大きな可能性を秘めており、日本が存在感を発揮できる分野だ。日本に世界をリードするビジネスを育てるため、政治家は今こそ力を発揮すべきときだ。